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エミコ(emico)

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フレンド-今夜此処での一と殷盛り-

開幕2日目のマチネを観てきました。



今、綴れることを雑だけど、書いておこうと思います。

これから、観られるかたは、お読みになりませんように。
早々、観た方も、ご自分の感想を汚してしまいかねませんので、お気を付けてくださいませ。
通りすがりの方は、ご興味があれば・・・(笑)

あくまでも、自分メモとしての感想文その1です。


美しい詩。

丁寧な言葉。

繊細な音楽。

とても味わい深い作品でした。(というありきたりな言葉も、口にしたくないほど)


人の人生が、時代のうねりに、もろに飲み込まれてしまう・・・
それは過去だけのことなのか、
現代も、そういう危うさの中にいるのか・・・。

「中さん、詩集を作りましょう。人々の胸のうちに。ザルツブルグの小枝を作らせましょう」(パンフレットより)
と、安原は、中也の詩を世に出そうと心血を注ぐ。
誰にも発見されることなく、埋もれていこうとする友・中原中也の作品に光りを当てようと懸命だ。

お育ちの良いインテリ青年である安原は、とても人柄がよい。
荒くれ者の中也に辛抱強く寄り添い、仲間たちとのパイプ役になろうとする生真面目さ。
それを増田さんが好演しています。

自分自身も文学を志しているはずなのに、中原中也という才能に惚れ込み、嫉妬することなく、純粋に友に尽くす。
お坊ちゃまだからこその、穏やかさなのかもしれないが、嫌味が全く感じられない。


渋谷の「フレンド」という居酒屋を舞台に、基本的にワンステージで繰り広げられる。
「ストレンジフルーツ」のようにプロジェクションマッピングを使うでもない、演劇という基本に立ち返ったような雰囲気で始まる。

ステージでは、文学青年の熱い議論が飛び交う一方、下町の威勢のいい男たちが祭りの話で盛り上がる。
時に笑ってしまうような場面もあって、そのシーンが明るければ明るいほど、戦争の影が落ち始めたときの悲しさが際立つ。

また、安原と秋子の恋愛は、身分の違い、育ちの違いからくるすれ違いがありながらも、安原の誠実さが頑なな秋子の心の扉もそっとひらく。
可愛らしいエピソードとしては・・・
安原は秋子にレコードを貸して、秋子が喜んでいる姿をみることに甘い感情を抱いていたけれど、親もいない下宿暮らしの秋子にはレコードをかける蓄音器がない。
安原は、そんなこと、気が付きもしない。

時が経って、秋子は弟のために、まとまったお金を作るため、お金持ちの妾になる決意をする。
長い間、借りっぱなしにしていたレコードを安原に返すとき、”遺言”と書いた手紙も添えた。
それを読んだ安原は、秋子の気持ちを確認するため、再びフレンドへ。
そこでようやく、秋子は、レコードを貸してくれたけれど、蓄音器がなかった・・・と告げ、
「でも、こうして、レコード盤に耳をつけると、音が聴こえてきた・・・だから嬉しかった」と素直な心を見せた。

安原と秋子は、一枚のレコード盤を挟んで、耳と耳を近づける。
昭和初期の美しい恋愛のワンシーンが音楽を奏でるように、うっとりと会場を包み込んだ。
(安原さん、素敵)

その後、秋子をわが子のように育ててきた居酒屋「フレンド」の夫婦が、秋子を養子に迎えたことで、妾の話は消え、やがては、安原と結婚をする。
安原も文学の道から退き、英語教師として安定した職を手にした。ふたりの間にはこどもも生まれ、慎ましくも幸せな暮らしが始まった。
(増田さん、初のご結婚、そして、父親役・・・)

しかし、中原中也が若くして亡くなった。
30歳だった。
そして、中也が安原宛に書き綴っていた何通もの手紙が見つかった。

中盤からは、戦争という不気味な色が、庶民の心を滅ぼしていく。
お国のために・・・
気のいい、町のムードメーカー的な存在だったおじさんが片方の腕を落として帰ってきたが、心はまるっきり無くしてしまったようで、軍国主義一辺倒になっていた。
若い衆たちも、元気な自分たちが志願してお国のために闘わなくてはと、戦地へ赴いていく。

安原は英語を教える場こそ失ったものの、国の通訳・翻訳の仕事に就いた。

そんな中、安原は、もう一度、夢を抱く。
中也が自分宛てに書き綴っていた手紙を発表したいという夢。
言論の規制が厳しくなってきた時代で、ともすれば、安原の身に危険が及ぶ可能性もある。
秋子は反対した。
しかし、自分の愛する外国の文学・芸術がなにひとつ認められない世の中で、自分に何ができるかを考えた安原は、
人々の胸のうちに、ザルツブルグの小枝を作りたい・・・と決意する。



幾時代かがありまして・・・

今夜此処での一と殷盛り

今夜此処での一と殷盛り

この舞台では中也自身の心のうちはそれほど描かれていない。
中也がなぜ詩を書いているのか。
どのような想いを込めているのか、特に描かれていない。

それなのに、朗読された中也の詩が胸を打つ。
中也の言葉の持つ力そのもののエネルギーであることは勿論だけれど、
物語に編みこまれた登場人物の一人ひとりの生き方が中也の詩に光りを当てているように思えた。
なかでも、安原の並々ならぬ想いが心を失いかけた人々の心に映写機となって、中也の詩を映しだしているかのように思えた。

どのあたりからだっただろう。
涙がひたひたと零れ落ちて止まらない。
舞台を観て、止めどもなく涙が溢れてきたのは初めてかもしれない。


こうして書いていると、こういうシーンもあった、ああいうシーンもあったと、思い出されてくるのだけれど、それらを結びつけて、ここに貼りつけることができないもどかしさを感じます。

まだ、何回か観に行くので、記憶メモとして、徐々に残していきたいと思うけれど、ストーリーをいくら追ってみても、「こういう舞台でした」という感想にはならないしな。

初めて観たときの、今の気持ちを真空パックする方法を知りたい。




舞台を観に行くにあたって、本を読んだりはしなかったけれど、演出の横内さんのブログは頻繁に覗かさせて頂いた。

今日、更新された記事には、「フレンド」という船が無事に航海に出たとし、ご自身は見送る立場のように書いていらっしゃる。
新大久保の道で、お客さんに「ありがとうございます」と声をかけられたとも。
勿論、それは私ではないけれど、私も、もし、横内さんとすれ違って、もし、目が合うような状況だったら、同じようにお礼を言いたい。

「ありがとうございます」

それは、ひとつは、増田さんの役者としての道をまた一歩、導いてくれたことへの感謝。
そして、もうひとつは、深い物語を作ってくださったことへの感謝。


今日も、今頃、渋谷の居酒屋「フレンド」で、若者たちが青春を語っているころだろうか。
破天荒な詩人と、彼を支えた美しい横顔を持つ青年の物語。





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